先日の記事で建設業19年生であると書きました。
建設業のなかでも、構造設計、内装設計、施工管理といろいろな職種を経験してきましたが、絶対にこれが一番だというものには未だに出会っていません。おそらくこれからも出会わないのでしょう。
今日は、19年働いてきた建設業について、私が今思うことを書いてみます。
おそらく、今の建設業界に対して私と同じような意見を持っている人たちも多いのではないかと思いますし、これから建設業を目指そうとしている人たちに対しては、この記事の内容が少しでも参考になればと思っています。
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この記事の目次
- 建設業と仕事観
- 最後に
1.建設業と仕事観
一般的に建設業は、地域社会への貢献度が高く、たくさんの人たちと建築物を作り上げていく仕事とのイメージを持たれているのではないでしょうか。「きつい」「きたない」「危険」の3Kで若い働き手がなく、職人の高齢化と技術継承の失敗が建設業の問題としてよく上げられる点です。
携わるものとしてこれを言うべきではないのかもしれませんが、日本の建設業はもっと本当にこの建築物を建てる必要があるのかどうかを考えるべきでしょう。
建築物は公共のものであれば税金で作られ、民間であれば当然、個人や集団の資産から費用が捻出されます。その資産から多大な利益を、儲けを建設業者が得るのはある意味無駄遣いではないでしょうか。
不思議なもので、建設業では同じ建物を建ててもどこが建てるかで利益の出方が大幅に違います。建設費が決まっている以上、その差で損をするのは、発注者と下請けです。本来、建設業は利益を得られる仕事ではないはずです。この差を企業努力と呼ぶことも多いですが、はたして本当にそうなのでしょうか。
来る日も来る日も問題を抱え、やっと終わらせたとしても、最後には必ずお金の交渉が待っており、一つの物件が気持ちよく終わっていくことはまずありません。私自身もそうですがが、おそらく、私より上の世代である50代もこのことは感じていて、若い世代に胸をはって建設業を薦められていない現状があるはずです。
高齢化や若い働き手がつかないのは、3Kという表面的な問題だけでなく、根本的に建設業における利益追求という矛盾に皆が薄々気づいてしまっているからでしょう。
個人的には、「働き方改革」をもっともすべき業界であると思いますが、工期の短縮が人件費を減らし、利益に直結してくる現状があるおかげで、その対象からも外れてしまっています。
あきらかに矛盾していると感じますが、適正な工期と建設コストをみなおし、建設業のなかでそれを標準化していかなければ、建設業での「働き方改革」はそうとう難しいでしょう。
利益追求ではなく、利益の出し方に透明性を持たせることができない限りは、建設業が今後、復活することはないでしょう。
2.最後に
かなり、マイナス思考で書いていますが、今は建設ラッシュで建てれば儲かったバブルの時代とは違います。これからの建設業は、適正な建設費用の線引きが明確にできなければ、グレーゾーンでの価格競争で誰かがしわ寄せを食う状況を変えられません。
ただ、実現はしないでしょう。